続 風の如き侍達の新たなる戦い

 

 19年2月下旬、普段は柄沢の自宅に開設してある後援会事務所を、前回と同じ場所の大町へ移設する準備が始まった。4年前にオフィスづくりのテーマに掲げた以下の3つのコンセプトを大切にしながら の作業が日夜行われた。

@若者らしさは勿論だが、機能性をより重視 する事

A何者にも屈しない孤高のサムライ・スピリットが溢れる 事

B外からでも一目でレイアウトを一望できる透明感のある潔いオフィス である事

 8年前の シュールなインパクトの事務所からは一変したものの、現職議員としてのイメージを損なわずも 洗練されたレイアウトの事務所が出来たと思う。掲示物は自身の政見や市政への所見、ネットをしていない方へのウェブの紹介ギャラリーなど 4年前を上回る多彩な構成にした。私が不在でもコーヒーを飲みながらゆっくり過ごしていただき「明石とはこんな男なのか」いう、『短時間で直線的に明石ひろやすを伝える事』を主眼とした のだ。

( ↑ 1999年、バイクショップ!?)

( ↑ 2003年、現在はこのイメージを踏襲)

( ↑ 左上は32歳初出馬時のポスター、別人だ・・)

( ↑ こうして見ると当ウェブの特濃さがわかる)

( ↑ 「出逢いの交差点」から普段の後援会活動まで公開)

 

 今回は主力メンバーが数名入れ替わった事もあり、告示前の運動は大きく変わった。まず、挨拶まわりは明石の強い希望で、運転手一人を帯同させるだけ「明石一人きり作戦」となった。ベテラン議員になると大名行列のような訪問活動をする人がいる。私のような若僧がいかにも「明石が来たぞ」みたいな訪問活動をする事は、客観的に不快だと考えるからだ。何より体格的にも威圧的だし(苦笑)、本来候補者が挨拶まわりをするのに後にぞろぞろ同行者がいる事の方が滑稽だろう。町内会の役員が一緒に同行しようがしまいが投票するのは住民その人の判断・・そうした思いもあって、私は今回友人の親戚以外は一切同行者を伴わず一人で黙々と挨拶まわりをこなした。孤独な訪問件数はゆうに3,000世帯を超えた 。

(↑ 渾身の著作「空と風と・・・」の配布作業)

 前回同様に訪問活動の主力となったのは自身の議会報告集だ。名刺やリーフレットが通常だが、市議選は最も身近な選挙、素顔が見える・・活動や発言がより伝わる報告集がベストと判断した為だ。今回は119ページにも及ぶ、「冊子」というより殆ど「本」の厚さになった。 前回より反響は良く、お礼の手紙をいただく事も度々あり嬉しい限りだったが、増版〜また増版による選挙直前の出費だけは想定外だった(汗)。一風変わった活動だが、このスタイルが私にイチバン合っている。20年3月現在、次回作の「空と風と私の道(仮題)」の編集が始まっており、初稿の制作が ピークを迎えている。

( ↑ 懐かしいLPは今回も事務所BGMで大活躍)

 11年、15年と辛勝している当方では油断や安堵の文字は全くなく、告示日前日の最後の最後まで運動を展開した。「みんなが勝手にバラバラ大作戦」は各々がベストの運動を行おうという変わった形態だ。事務所には常時1人がいればあとは外で活動するという勝手気ままなものだったが、おかげで私は訪問活動に専念、仲間は名簿の掘り起こしから新規会員獲得といった具合に、期間中ムダのない活動が展開できた。旧比内及び旧田代地区において私は全くの新人であり=知名度ゼロからの出発である為本当に苦労した。

 


 

( ↑ 3月1日の事務所開設広告、OPENって・・汗)

 訪問企業も回を重ねる度に増えてきた。朝礼や引き継ぎなどの際に挨拶をさせてもらうのだが、私は『市議なんて誰がなっても同じだろって思われている・・私もそう思っていた1人だ・・だ けど32歳の時にこれではダメだと行動に出た。会社もそうだけど、実際に声をあげたり行動する事から街や行政は変わっていける。今は皆さんの選択が政治を変える時代だ。私は是々非々を貫くという姿勢は絶対に曲げない』と訴え続けた。合併後初の改選という事もあり、「地元」という括りを今までの2倍以上に拡大して挨拶まわりは延々と続いた。こうして事務所開設から告示までの1ケ月半はあっという間に過ぎ去った。

 

 票読みでは毎回誤差が出て当日冷や汗をかき続けてきた。11年は1,050票の予想で945票(26位)、15年は1,250の予想で1,044票(26位)・・毎回もう少し票を誤っていれば「落選」という薄氷の連続当選であった。30議席に54人の候補者という大混戦は、私は生涯で二度と体験する事はないだろう。1,100票以上確実と自負している候補以外は皆、誰が当選するかわからないサバイバル戦だ。私が今までの経験と訪問活動の手応えなどを基に検討を重ねて、告示直前に出した自身の予想は1,050〜1,100票であった。期間中頑張ってくれた仲間達にも「この乱立状態でこの予想なら何とかすべりこめるだろう、ありがとう」と伝えた。友人には「お前の選挙はいつもハラハラだからなぁ〜。まっ、また当日ドキドキするのを楽しみにしてるよ。」と冷やかされながらもスタッフ全員が当選を確信していた。皆が期間中の自分達の運動に手応えを感じていたからである。合併で有権者が1万票以上増えて、よもや1,000票を割り込むなど私を含めスタッフ全員 この時は予想だにしていなかった。「地方選挙は本当に難しい」、3回選挙を戦った私のホンネだ。

 

『3回連続26位当選』の当市珍記録を樹立した低空飛行隊専属の

明石ひろやす

(『お前と一緒ならどこにでも行ける・・』)