自称公用車達の宴
根性の洗車道

 

Vol. YAMAHA XJ400S
&

仙台回想

  

 大学2年の初夏、友人で、愛媛県の妻鳥(何とこう書いてマンマ「めんどり」と読むのだ)という男から「夏休み帰省する時に俺と一緒に愛媛に行かん?」と誘われた事が、その後の私の人生を大きく変えた

私『お前バイクで一緒に帰るって・・俺バイクの免許なんてねぇって!!』
奴『免許なんて取ればいいやぃえ〜!!』
私『免許取れって・・バイクはどうすんだよ〜!?』
奴『バイクなんて買えばいいやぃえ〜!!』
私『・・・(絶句)・・・』 

 こうして鬼のようなバイト生活が始まり、私は学生の分際で学校にも行かず、1週間でバイク免許を取得し、数日後バイク屋にあった「車検付¥128,000」という殆ど捨て値で売っていたXJ400スペシャルを購入した。免停90日(オイ!)があけて晴れて初めてXJに跨り数日後、私の初めての中型二輪ツーリング日程は何と「横浜から京都までの450キロ東海道1日走破」であった。それまで5キロ以上走った事もなかったのに!!・・・である。途中名古屋市内の交差点で思いっきりコケたりしたが(しかも道中豪雨の強行軍であり疲労でブレーキングが遅れた)、淡路島〜鳴門海峡を経て四国入りして1泊2日で横浜から愛媛まで高速を使わず走りぬいた。秋田への帰路石川県で信号で止まっている時軽自動車にかなり激しくカマホリされたりしたが(車中の乳児はモロにミッションに突っ込み怪我、事故検証の時はどう見ても私が悪人状態。しかも私はバイクで車に激突されながら転倒すらしなかった)、無事?に大館に辿り着いた。

 この旅は私の人生観や価値観を激しく変えた。自分で初めて見たいろんな土地やいろんな人達・・・知らぬうちに今まで漫然とレールの上を歩いていた自分に初めて気がついたのである。『こうやって生き抜いていきたい!!』、『こんな道を歩いていきたい!!』・・・私にはそんな目標や答えすら無かったのである。いろんな事を考え、ほどなく大学を休学(そのまま後に退学)、方々でバイトしながらオートバイで本州を放浪した。そして半年後の仙台で、私は人生で初めて心から愛する女性に出逢った。働きながら専門学校で商売のイロハを学ぶ事を決め、両親の手前アパートを借りたが実際は彼女との同棲生活であった。彼女は新潟の寂しい山村で育ち、奨学金で学校に通う私同様貧しい学生であったが、気丈で眩しく・・・純粋な美しい女性であった。彼女とXJと過ごした仙台での2年間は今思うと走馬灯のようでありながら、私の人生に永遠に刻み込まれた。(どこかの映画のセリフを借りて言えば)仙台に彼女とXJがいたのではない、彼女とXJが私の仙台そのものであった

 その後北海道ツーリング数回、4号線ツーリング数回と数々のツーリングに大活躍しながら、二輪免許の中型限定解除&
V−MAX購入を契機に現役を引退、数年を除き倉庫で眠り続ける日々が続いた。だが、市議選に先立ち後援会事務所を設立する時、「コイツと寝食を共にして来るべき戦いに備えたい」との私の強い希望から、周囲の反対を押し切り後援会事務所内に展示した。車検を取らなくても頻繁に修理するので、バイク屋主人から「何でこんなのに金かけんの?」みたいな事を言われるが、苦笑しながら「そう言わずに頼むよ」と答えるやり取りは毎年定番になってしまった。

 ¥128,000ではとても買いきれない・・語り尽くせぬ想い出と、政治家として今歩んでいる人生の指標を私に授けてくれた、マイ・メモリアル・モーター・サイクル。