選挙戦前後の詳しいドキュメントは、私の親友にして今回の選挙で獅子奮迅の働きをしてくれた若松篤志が、彼のホーム・ページ『ステップ・ワカ』内にて記述しているので(同サイト内「実録なんちゃって選挙活動24時」)、興味をお持ちの方はそちらをご覧いただきたい・・・身内びいきと怒られそうだが、なかなかどうして迷作珍作であります故。

 


 

 『魂を込めて・・・』これが私の選挙ポスターのフレーズであった。真っ赤な背景に上着無しで青のYシャツ姿の上半身、31枚のポスターの中では目立つ方ではなかっただろうか?

 告示直後友人知人ら約20人が市内250ヶ所余りの掲示板を駆け巡り、私達は選挙カーで街に飛び出した。若者達の、一寸先も見えぬ大きな挑戦の第一歩であった。

 28議席を31人で争うこの選挙、報道関係者の当時の落選予想は島崎氏、成田氏、石垣氏、粕田地区2候補山内氏、中村氏のうちいずれか一人、佐々木氏、そして私明石に集中していた。当時の選挙事情に明るい市民の方々の予想もほぼこれと同じであった。

 地元大町地区は前回より既にオーバーサプライの状態であり、花岡氏が最下位当選、八木橋氏が次点に泣いている。こうした中での出馬はまさに無謀というより暴挙に等しく、一部の地元の連中からは冷笑も聞かれた。

 父の忌明けもままならぬ時期であっただけに出納責任者が一期出馬を見合わせるべく私に進言するほどの、心配した親友達がこんな状態で無理にやらなくてもと忠告するほどの、それだけ厳しく可能性の見えない選挙であった。今だから笑って話せるこんな事でも、当時は家族でも相当の議論を呼んだ。

 だが私はその時確かに自分の中に吹いている微風を感じていた。『この機会を失ったら自分に二度と出馬する日は来ない』『この日の為に泥もすすって機を待った。今なら必ず風は吹く!!』・・・「この壁を越えれぬようであれば所詮それまでの男」的な、ある意味自分を鼓舞高揚させたのか、とにかく男には生涯幾度かこんな修羅場があると強く信じた。

 ここに集まった奴等に当選以外報いる事などできないとの断固たる決意を炎の闘志に変えた。会議や打ち合わせなどやった覚えもない私だが実は一つだけ策を弄した、「告示まで泡沫候補を演じてやろう。大いに笑われて大いに油断してもらおう」。それは、企業の推薦状(1枚だけ頂戴したが)も強固な地元推薦もなにもない私の、パール・ハーバーや桶狭間のような1回きりしか使えない激戦区での奇襲戦法であった(当選後、策も何も君は最初から泡沫候補じゃないか?とは親友の言葉であるが)。

 落選確実候補から危機一髪での当選に至るまでの奇策はそれ一つだけであり、後は気合いと!根性と!魂の叫びと!集ってくれたスッタフの働きに、私は誇りと全財産とこれまでの人生の全てを賭けた。

 「政治家は選挙に勝ってこそ華!落選して支持者に何の言葉がある?勝って働いてこそ一人前だ、覚えておけ若僧!!」とはどこかの国会議員のセリフであるが、言葉こそ荒いが真理だと思った。オリンピックじゃないんだし選挙には参加する事に意義など有りはしない、選挙戦を制した者だけしか市民の代弁者として議場で登壇できないのだ。

 若者の代弁者たらんとの重責と、何の語弊もなく自分の為に私は当選目指して走り続けた。「私はそんな事ありません。皆様の為に自分を捨てて頑張りました。」などと言う議員がもしいたら、そんな偽善者は大した政治家にはなれんから真面目に己の引き際を考えた方が良いだろう。

 街頭演説に声を枯らし、靴底に穴が空くまで走ったあの2年前、当落線上のギリの戦いに身を焦がしたあの日々の心地よい崖っぷちの緊張感に、私はこれまでの自分にない何かを確かに感じた。自分には精神分析の心得などないが、あれがある意味「陶酔」であり或いは「ハイ」であったのかも知れない。

 だが陶酔しないで街宣できる議員などこの世には絶対いない、経験不足の私の数少ない選挙のホンネだ。候補者は自分の意見が正しいと思い込めないと、己の勝利を信じ込めないと、周りから大丈夫だと励まされないと自分の名前を自分で連呼するなど出来やしないし、それ以前に選挙などやってられないのだ。人が集まるほど安心する、かくも寂しがり屋な職業は他に覚えがない。

 私が街角で叫んだ政治信条は、今書けば自分でも驚くほどわかりやすく、しかし今もって私を突き動かす原動力である。

一、イエスにはイエス!ノーにはノー!己の政党立場にとらわれ  る事なく、公人として常に是々非々である事!!

一、若者が胸を張って地元に残るまちづくりを!出て行ってしまった人達が胸を張って地元に帰って来るまちづくりを!!

一、市民が生きがいと誇りをもって暮らしていけるまちづくり を!!

 正直、是々非々がこんなにも難しい事だとは思わなかった。これが2年間議員生活をした私の率直な感想である。

 だが、一見こんな簡単な理念を貫けぬ故政治家は堕落し、政局は混迷し国家は乱れるのだ。歴史上の戦争や大乱とはその殆どが腐敗と宗教と侵略にその端を発している。国政と地方自治が、民族や信教や政党そして地域や業者のエゴのない・・・常に是々非々の議論を出来たなら、それは間違いなく理想国家である、言い過ぎではない。空論と笑う人も建前と嘲る人もあろうが、信条なくして政治家はその存在意義を失う。

 理念とか信条という言葉ではなく私は敢えてこの気持ちを「魂」と表現した。政治家にとって政治信条とは魂なのだ、これがなくては只の「選挙で選ばれて税金から給料を貰う人、役所で一番偉そうなパートタイマー」なのだ。言われた事をやるだけなら議会など単なる税金の無駄使いだし、必要な時だけ時給で召集すれば良いのだ。

 魂と言うべき信条があればこそ本当に大切な政策提言がそこから生まれ、魂を込めたその叫びがその場の人の心を動かし、議会を動かし、自治体を動かしまちを変えてゆけるのだ。それ故政治家とは己の政治信条を身命を賭して貫かなければならないのだ。

 「正しいと信じた事は勇気を持ってやりなさい」こんな言葉は小学生で教わるだろうが、その小学生のお手本となれる政治家が今日本にどれだけいようか?

 選挙屋に担がれた政治屋が跋扈し、互いへの利益誘導行為がそのまま行政という言葉にすり替わってしまいそうなこの国の、「正義」「仁義」が死語になってしまいそうな、初心という言葉を毎日つぶやかなければ何かに組み込まれてしまいそうな、そんな地方議会の末端の叫びが聞こえる国会議員は今何人いるのか?

 私は是々非々というこの政治信条が、議員としての今の自分の存在価値であり、ひいては全ての政治家の魂そのものであると固く信じる。この身を焦がす思いが潰えてしまえば、もはや私は議員などではなく、あの遠い日に街角で胸を張って叫んだ自分ではないのだ。

 

明石ひろやす