原稿(花岡事件の教育)
今年は戦後60年の節目の年であります。「平和な国日本」というキャッチフレーズは国民に浸透しておりますが、国家間の争乱は未だにあちこちで勃発しており、テロリズムの脅威という新しい戦争の形が世界を席捲しているのが現状であります。過日発表された来年度の国家予算概算要求を見ましても、日本海沿岸に配備する防衛ミサイル・・これは近隣国から放たれるかもと仮定した大陸間弾道型ミサイルを着弾前に打ち落とすミサイルですが・・研究予算に30億円・・こちらは実際に秋田県を含む日本海沿岸に配備するとなれば1000億にも達するそうでありますが、他にもF−15イーグル戦闘機やステルス型戦闘機配備に関する予算など、およそ戦後60年といった平和のイメージとはかけ離れた現実を伺い知る事ができます。「我が国を取り巻く緊迫した情勢を鑑みて、国民全員が今一度平和な国際社会の構築を真剣に考えてみる」こうした意味での節目を私達は迎えているのかも知れません。
世界どの国でも必ず論じられているのは、未来を担う子供達への歴史教育であります。国内公立学校の教育は基本方針に準拠する教科書に照らして行われておりますので、これを逸脱する事は勿論許されません。こうした言わば画一的な指導は不公平のない一般的には取り立てて弊害の少ない教育ですが、言い換えますと必要以上の余計な事も、必要以下の些細な事も指導しないとも解釈できます。国内を見ても沖縄や広島、長崎、東京など戦時下では言い難い体験を強いられた地域も数多く、そうした地域事情は教科書とは別の副読本にてそれぞれ指導していると聞き及んでおります。
言うまでもなく当市は過去『花岡事件』という忘れ難い戦争体験を背負っており、被害を受けられた中国人の方々のみならず、多くの市民の心に大きな傷跡を未だに残しており、今尚年に一度、市主催での殉難者慰霊式が厳粛に挙行され続けている事は、圏域住民に限らず広く両国国民の知るところであります。一般質問に先立って教育委員会の方より小学校・中学校の社会で用いている郷土に関連した副読本をいただき殆ど全てを読ませていただきましたが、同事件については「太平洋戦争は一方的に犠牲者としての被害を受けただけの戦争ではなく、アジアの国々、人々を苦しめた加害者の立場である戦争であった事も忘れてはならない」との下りに続いて、何故集団蜂起せざるを得なかったのか、連行された人の数、祖国に帰れた人の数、死亡率に至るまで詳細に記されておりました。
終戦後、多くの日本人が大陸から逃げ遅れて現地で殺害されたり、シベリアの極寒の地で非業の死を遂げた事など・・これについては市内比内町の中野にある寺院の住職さんが抑留兵であった事を本人から伺った事がありますが・・これらを考慮すれば、被害者、加害者双方での史実を、誇大したり脚色したりせずに、事実のまま教育現場で伝え、子供が個々人で戦争の悲惨さを真剣に考察する事が最も公正であると思います。そういった観点から副読本でのこうした指導は適正なものであろうと思いますが、唯一残念であるのは実際に慰霊式の行われる現地には市内で近場であるにも関わらず、校外学習が殆ど行われていない事であります。東京や北海道からは毎年たくさんの中学生らが修学旅行を通じて当市を訪れ、曲げわっぱの製作体験やきりたんぽの食事などと同様、教養を深めるカリキュラムの中で花岡を訪れ戦争について学習しております。
今回の一般質問にあたって、私は本件に関してはあまりにも勉強不足であると感じた為、多くの市民に取材を行いました。そうした中で一番多かった声は事もあろうか「君は花岡事件を何故わざわざ取り上げるのか?」、「事件の発生地域という住民の感情に配慮すればこのような一般質問は妥当なのか?」、「忘れたいと思っている住民の気持ちに土足で踏み込むような行為だ」といった意見の数々でありました。中には「戦争中という当時の異常な状況を鑑みれば、花岡事件だけが汚点のように取り扱われるのは遺憾」、「大陸や南方の島々では我々日本人の多くが花岡事件以上の凄惨極まりない最後を遂げている。そうした戦死者のいかほどが現在の歴史教育で子供達に伝えられていようか?加害者である日本という一側面だけに、殊更にスポットを浴びせる行為、それこそ偏向教育ではあるまいか?」、「教師とは全ての子供達にとって生涯の師であり、その教師が強い罪悪感や贖罪を多感な時期の少年少女に強要する事が公正な教育であろうか?」といった意見を不満げに語られる方も正直おりました。
花岡事件についての所見は各自様々であり、行政や教育の場で本件について一定の議論を交わすという事は、非常にデリケートな取り扱いを求められる事は十分承知しております。校外学習のケースが殆どと言い切ってよいほど行われていない現状を勘案すれば、当市の教育現場の方々の本件への対応に対しての苦慮や苦悩、語弊はあれ遠慮のような複雑なその胸中を察するものであります。教育の場で純粋無垢な子供達にこうした史実を語って伝えるのは、教師のその絶大な影響力を考えれば大きな責任の伴う行為でありましょう。しかし、例え極限下の戦時中とはいえ、郷土で起きた忘れ難い史実を風化させる事なく忠実に後世に伝える、判断力が備わった中学生達が歴史、とりわけ悲惨な太平洋戦争について深く考察するといった観点から考えれば、当市の教育カリキュラムに同事件の検証を導入する事に対して、私はそれを偏向教育とは呼ばないという認識を持っております。郷土の偉大な先人達を学ぶ、特産品や観光資源について学ぶ、出土品や遺跡から歴史を学ぶ事とこの事件を学ぶ事は本質的に何ら差異はありませんし、また差異があってはならないとも思います。
(以下黄字は時間的制約で登壇時止む無く省略)日本と中国ではその歴史認識の大きすぎる隔たりが、暴動にも等しいデモや領土問題となって今尚解決の糸口が見えない現状にあります。数年前、秋田県で使用する融雪材の半分近いシェアを持つ、中国では三千人余りを雇用する商社の社長と面談する機会に恵まれました。通訳もなく、小一時間ほどのお互いたとたどしい英会話でのやり取りでしたが鮮烈に覚えているのは、「貴方の街の名前は私達の国では悪い意味でとても有名です。問題なのは過去ではなく未来。拷問による虐殺への謝罪や補償がどうとか言っている人は確かにたくさんいますが、例えば工業生産労働力の提供であるとか留学や農業研修、低賃金での中国人の担い手派遣などの事業を全国に先駆けて貴方達が行い、これからの中日関係改善に取り組む気があるのなら私は母国の省や国への橋渡しなどどんな協力も惜しまない。大館市の暗い事件や両国の認識の違いを考えても、日本の未来への新しい中日交流の出発点の街としてふさわしいのではないか?」という主旨のご提案でありました。こうした事業が仮に実現するならば、それは日中間の軋轢を解決するきっかけにすらなり得る、歴史に残る大きな一歩となるでしょうが、そうした大きな交流以前に私達がまずすべき事が、先に申し上げた歴史教育の更なる充実ではあるまいかと痛感する次第であります。これに係る教育長のご所見をお伺いし、私の一般質問を終わります。ご清聴ありがとうございました。