(街頭演説が私の選挙運動のメインだ)

 

『空と風と私の道』 

2007統一地方選回想録 

 

【告示前夜】

 告示日前夜、明日からの戦いを前に仲間達が気を遣って9時過ぎには全員が引き上げた。広い事務所に一人きり、こんな時間には到底眠れず、コーヒーを飲みクラシックを聴きながらゆっくりと考え事をした。2月中旬に自宅の柄沢から大町に後援会事務所を移設する準備に入って以来、こんなにスローな時間を過ごせたのは初めてだった。机に置いてある立候補届けなどの書類やタスキ、背広やネクタイ・・準備なんかとっくにできている。事務所の入り口に展示してあるオートバイをずっと眺めながら8年前を想い出した。雑然とした事務所の中で告示前夜、「選挙ってどんなだろう?」とか「当選したら何が出来るだろう?」、「自分の思ってる事は絶対言える議員になりたいな」など、ドキドキワクワクしながら眠りについたあの夜。『俺はあの日のまま今日までいられたかなあ?』・・・いろんな議会での出来事が脳裏をよぎる・・・胸を張って語れる話とそうでない話、笑顔と後悔・・・正直答えはわからなかった。40歳を過ぎ自分を若者と呼ぶのにはそろそろ呵責を感じる。同期の友人達は皆家庭を構え、子供が成人した者までいるのに、家でもないところでこうして一人きりの夜。半生を振り返るにも時と場所があるだろう、明日から選挙だぞオイ・・・やけくそが転じたおかしな達観や現実逃避でもあるまいが、不思議な事に私はその時間、選挙の事は殆ど考えなかった。過ぎ去った時間や今はいない人達に思いを馳せながら、2時間ほどコーヒーと音楽に浸かり・・・そして私は眠った。

 

(ポスターはあまり目立たなかった)

 

【選挙戦】

 立候補届けには3度自ら出向いた。庁舎3Fの委員会室は各陣営のスタッフでごった返している。友人らには「とにかくポスターの最上段だけは貼りにくいから止めろ」と言われて来たが止めるもなにも抽選だからどうしようもない。立候補の届け出順は24番、ポスターの掲示箇所も何とか再下段を引き当てた。書類の審査中に「当選順も24番なら上出来なんだが」などと他愛もないジョークを考えるだけ、手続きに慣れてきたのはある意味笑えないものがある。事務所に戻りすぐさま出陣式の準備に入る。「とにかく走れ、人を見つけたら走って握手だ」とスニーカーを進呈してくれたのは後援会長の木次谷だった(何より持久走が不得手な私にはありがたくて涙が出るプレゼントだ)。ポスター貼りもあって出陣式には30名くらいの人が集まってくれている。普段何でも5人ほどでこなす当陣営で30人という人が集まる事自体極めて珍事である。決意表明と題した挨拶では、15〜20位ほどでの当選を確信していた15年に、「皆様の負託に応えるべく、大勝利で7日後ここに戻ってきます!」とブチ上げて惨敗した4年前のエピソードをあえて引用した。「4年前は仲間が帰った事務所の台所で悔しくて涙が止まらなかった。あの日の思いをハネ返すべく全力で頑張ってきます!」これだけ頼りがいのある仲間達に囲まれ、町内会や企業など多くから推薦をいただき、私は「当選できるよう頑張りますので何とか助けて下さい」みたいな一見謙虚&実は弱気みたいな演説は絶対嫌だったし、実際にそんな演説はしなかった。「8万都市になった大館で1,000票を割ってたまるか!!」・・前回のような気負いはやはり確かにそこにあった。だが、選挙にはそんな闘争心があった方が良いのだ。

 

(短時間で「明石ひろやす」を伝える)

 

 今回特に留意した事がある、絶叫シャウト系の演説を卒業しようと思った事だ。自分のスタイルに似合っているし、何より気概が伝わりやすい・・・が!いかんせん安物のレンタルマイクではハウリングが大きく、内容が時折とても聞き取りづらい。そこで一字一句ハッキリと聞こえるように、話す速度を80%くらいに落として演説した。『ゆっくり叫ぶ』とは珍妙な表現だが、私はこの言い回しを常に念頭に置いて演説を繰り返し続けた。

 

 私の場合、選挙カーで市内を巡回する事は勿論大事だが、街頭でいろんな人達に自身の政見を伝える事を選挙戦の主眼に据えている。候補者の声をナマで聞いた事もない人が投票行動をとってくれるとはどうしても思えないからだ。自分が被選挙人じゃない選挙だったら、まず候補者の政策や人物を知りたくなるし、投票の前にあれこれと興味を示す。同様に「俺には選挙なんか関係ないね」と思っている多くの人だって、政治がどうなってもいいと本気で思っている人など絶対にいない。「コイツならもしかして」と思える候補者がいれば投票場に出向いてくれるハズなのだ。彼らの気持ちが名刺やリーフレットで傾くだろうか?私は「政治家は話す事が仕事であり、思いを込めた演説が自分の心を伝えるベストの方策」と信じている。あるデータでは、投票した人の80%が告示前に名前を決めているという。言い換えれば、20%の人は選挙期間中に名前を決めるという事だ。私の選挙は後者の20%があるから当選していられるのだ。毎日同じ場所で演説していると、どう見ても選挙には関心なさそうな若者達や見た事もない方が車内から笑顔で手を振ってくれている時がある。また、一切こちらを見ないけど時折頷きながら話を聞いてくれ、立ち去る時にクラクションを短く鳴らしてくれる人もいる。どちらも本当に嬉しいし、私はそうした光景に出会う度に「街頭演説こそが一番の選挙運動だ」と痛感する。あの笑顔で疲れも何も吹き飛ぶのだ。あのたくさんの「頑張れ」で私は叫んでいられるのだ。

 

(スタッフも連日演説しまくり)

 

 月日がどんなに流れても、自分が何度選挙を戦っても政治信条は変わらないし、また変わってはならない。議員としての体験もあるので演説の語句はいろいろ加筆されたが、要旨だけは11年に初出馬した時と何も変わらない。この政治信条を今も変わらず胸を張って叫べる事は、自慢するところの少ない凡庸な私の数少ない誇りである。

『地方自治にイデオロギーなどない。純然たる問題意識で、時には自分が少数派であっても、損得を案じる事なく勇気を持って実際に発言したり行動する事が議員の職責だ。』

『膨大な債務の償還を未来に先送りするだけの大人ではいたくない。政治は夢を形に変える仕事だ。私は今の少年少女達に、歪んだり汚れていない真っ白なバトンを渡してあげたい。』

 

(開票日夕刻、仲間達と。二人の子供は姪)

 

【開票、その翌日未明・・】

 開票日は自分への投票以外終日事務所にいるよう心がけた。訪れてくれる仲間や支援者の方達に直接お礼を言いたかったからだ。当落は気にならないと言えば嘘だが、やる事はやったから驚くほど晴れ晴れしていた。ベストとは言い切れないが、限りなくベストに近いベターをやった。「結果とは必ずその課程に因果を持つ」とは誰の言葉だったか?、『合併で何十人出ていようがそんな事は関係ない。これで落選したら絶対もう選挙などやらない』と言い切ったのは今回が初めてだった。それくらい告示前からの地道な運動に私は一定の自負を持っていた。今の自分にできる「精一杯」を、皆に助けられながらも何とかやれたのだ。

 開票90%で900票台が10人ほど横並びになって、誰が当選して誰が落選するかわからないロシアン・ルーレット状態になった(1,000票を超えた私を除く約23人はこの時点で当選が確定した)。友人らの「またか・・」、「二度ある事は・・・」、「お前らしくて結構結構」などため息と笑い交じりの声が事務所に響く・・。その時でも私は終始どこか吹っ切れていて談笑しながら結果を待った。私は982票を得て何とか26位で当選できた(開票に立ち会っている知人から「受かってたよ」の一報をもらい、投票所のスタッフに「俺当選してるんだって」と逆速報を入れる珍事になったが)。祝勝会で仲間達に対して木次谷は「今回はこれが自分達の一生懸命の結果、ありがとう」と謝辞を述べた。私も前回とは一変して、その結果を今の自身の最大値として受け入れ喜んだ。

 短い宴も終わり、仲間達が次々と事務所を去りまた一人きりになった。0時をまわっても眠れず、コーヒーを飲みながらワルツを聴き考え事をした。この事務所は近く競売にかけられ売却されると管財人から聞いていた。私がここで選挙をするのも今回が最後だ。事務所を移設すればいつもここで暮らすので、人様の建物ながらすごい愛着があった。このビルを自分で競り落とそうと何度も本気で考えた事もある。15年に借りた時、このビルは、電気はつかない&水は出ない&夜中にギシギシきしむ&たまにマネキンが倒れてバラバラになり小心者は一晩でも泊まれない・・の満身創痍だった。そこで電気工事を今は亡くなった近所の電気屋さんに依頼した。天井の配電線をいじりながら「(11年に)君が当選できたのは奇跡、慢心せず頑張りなさい」と話していた姿を思い起こした。思えば誰もが私は落選すると思っていた11年、氏だけは近所の若者の無謀な挑戦を暖かく見守ってくれた。亡くなる数週間前、病床に伏す氏を見舞った時、消え入りそうな声で「大きな議員になりなさい」と言ってくれた時、私は笑顔を保てず早々と病院を後にした。3月に急逝した松橋議員といい、私が敬意を抱く先輩はいつもその短い生涯を終える。だが仲間達は勿論、そうした尊敬すべき人達に巡り会えたから今の自分があるのだ。親父と松橋議員と電気屋さんの物故者3人組が揃って「また奇跡が起きた」と苦笑している姿を偲び、誰もいない事務所で一人私は笑い泣きしてしまった。机には当選祝いでいただいた花束があった。私には似つかわしくない綺麗な花だ。「明日は電気屋さんにこの花束を持って行こう。墓前にこのド派手な花を飾るように頼んで・・ワハハハ、これぞ明石の当選お礼参りってね・・・」などと不遜な事を思い浮かべ、幽霊でも何でもいいから今夜は3人が夢に現れて欲しいと願い・・・私は眠った。

 

2008年3月

大館市議会議員 明石ひろやす