(報告集「空と風と・・・」用イメージレイアウトそのB)

 

竹村跡地は燃えているか?

 

序:議員の会設立までの回顧録 明石の場合

 

 正札竹村が倒産してから半月ほど後、私はビル内に入る機会に恵まれた。最後の社長を務めた岩谷氏は破産管財人から備品整理を一任されて鍵を預かっていた。彼が向かいの私の会社に「使えるものがあったら超破格値でお譲りします」との一報をしてくれた事が、現在の私の仕事の大きな第一歩となった。殆ど略奪にしか思えなかった倒産直後の騒ぎ以来、人気の全くない暗闇のビルの中を岩谷氏とサーチライト片手に探索した。

 高価な空調設備は短時間の大騒ぎの中、無我夢中でドリルで穴を開け配線ごと引き抜いたのだろう・・・各フロアの天井は無数の巨大な穴が空いている。綺麗なショーケースなども跡形も無い。あれだけあった商品もタオル1本にいたるまで姿を消していた。子供の頃家族で食事をした7Fの食堂など屋上からの漏水で水浸しだ。かつては多くの人でごった返していた竹村百貨店・・・そこは今、『市内で最も巨大な廃墟』と化していた。15年の改選を控えていた私は選挙事務所用として、2F銀サロンの高価な椅子を20脚、天然木製の装飾テーブルを5本、階段にあった休憩用のベンチを数脚、会議用の折りたたみ式テーブルを10本、警備室からは多くの工具や電気ポット、無数の事務用品、台車や業務用のゴミ箱、岩谷氏のご好意で愛用していた社長デスクまで延べ数百点の貴重な備品を数時間かけて搬出した。これら全ての合計買取額はたったの¥3,000であった。

 私はその後、幾度もこの廃墟に入った。アーケードに落下し始めているガラスや外壁、カビの悪臭と湿気で歪みまくった各階の床面、いたるとこで崩落している店舗内の壁面、修復不能の全館の空調設備、レストアなど想像もできぬ腐食の著しいジェネレーター設備・・・何度も冷静にこうした光景を眺め、「竹村ビルは死んだ。この建物はもう二度と使えない」・・・そう確信した。それ故、15年改選直前に発行した議会レポート創刊号の中で本件について私は、「正札竹村の跡地利用の問題は、当地区の存亡に関わる喫緊の重要課題でもあります〜中略〜まずは老朽化した同ビルの解体が早急に求められていると思います。」と断言している。市街地の市民の負託を受けた公人として・・いや、何より真向かいで毎日この廃墟を仰ぐ商店主として・・中心街衰退のシンボルの如き、この死んだビルを跡形も無く葬り去る事が自分の使命とすら思ったのである。

 そして改選が終わり1年余りが経過し、2004年6月から事態は急転していく・・・。

 


 

 暴露は避けるが、何故県から市に届いたその提案書が外部に漏れ、よりによって私のもとに届いたのか?誰より一番良く知っているのは市長である。経緯はともかく2004年の初夏、私は秋田県建設交通部建築住宅課が同年5月に当市に送付した、老朽化した大町・新町・中町・向町の4団地建てかえ計画の提案書の全文を入手した。

 民間事業者に市街地に住宅を併設した施設を建設してもらって、それを市営住宅として市が借り受ける。デイサービスセンターなどの福祉施設や商業店舗などを階下に配置し、その施設が市街地活性化に寄与するとなれば事業資金の一部を補助する『優良建築物等整備事業(以下優建)』・・・全文を読むと更に驚くべき記述があった。補助メニューの中には「土地整備費」という項目があり、そこには既存建物の除却費用が明記されていたのである。私は次の9月定例議会にて、このテーマで登壇する事をその場で即決した。論旨は既に固まっていた・・・@市の起債ゼロで懸案の4団地建てかえ事業が行なえる!A4団地を1〜2箇所に集約すれば民間事業者は長期間安定した収入を確保できる。事業者は必ず現れる!B旧竹村ビルを除却する補助金があるとは!・・・大町再生の大きな起点を見つけた・・・そんな心境だった。

 登壇前のある夜、同僚の八木橋氏、松橋氏、岩谷氏ら4議員で納涼会を開き、この提案書について話し合った事があった。同事業に対しての総論は皆が賛成だが、各論で「市長が4団地についてそれぞれ現地での建てかえを示すとすれば、それぞれの民間事業者に分割発注する事になるだろう・・・それは市街地活性化の名を借りた自身を後援する企業への見返り発注ではないか?」という厳しい指摘が出された。この時の話が鮮明に脳裏をよぎったのは、皮肉にも市長室の中だった。商店街の役員らが「4団地建てかえを活性化の一助としたい。地元も全力で協力するので行政支援をお願いしたい」との市長へのお願いに対して、市長の見解が何と「4団地は民間資金を活用しながらそれぞれ現地での建てかえが望ましい。この事業と竹村はハッキリ分けて考えていきたい」であったのだ。その時同席していた私は、不覚にも邪推のあまり建設的な思考ができなくなったが、後日改めてこの時の気持ちを全て敬語で礼を失せずに・・確証のない邪推は思い切って捨て・・冷静な論調で・・9月議会の一般質問の原稿に盛り込んだ。例え本会議場の大多数の人に伝わらなくても、過日の納涼会に出た3議員と・・特にクレバーな市長には原稿中の「疑念」という言葉を使った真意が絶対伝わると思ったからである。

 (この一件で後日市長を支持する友人から、『明石の「何が何でも旧竹村ビルをぶっ壊す論」が市長のお気に召さぬのと同様、市長の「4団地それぞれ建てかえる論&竹村はこれと無関係論」も明石のお気に召されません。竹村が無理なら分割発注も絶対阻止してやる・・・みたいな、まるでスネた子供の喧嘩のような着想では現状は変わらんよ。』と諫言を受けた。その場で反論できなかった私は大いに悔しがったが、あの時の市長の見解のホンネは永久に闇の中に消えた)

 いずれ市長の政策大転換を促すには議員数人の力なんかでは役不足、到底不可能な事だけは明らかであった。地元議員だけではない、もっと多くの同僚議員の賛意がなければ旧竹村ビルの問題は硬直したままであろうとの強い危惧だけが残っていた。

 


 

 12月定例議会以降、八木橋議員や松橋議員など数多くの同僚議員が旧竹村ビル問題を一般質問で取り上げた。多くの議員の論旨には「福祉施設を併設した公営住宅建設による市街地の活性化」が盛り込まれたており、この頃には先述の県の提案書は多くの同僚議員達の熟知するところとなっていた。何より嬉しかった事が2つ、@市長が公務の間をぬって能代市の福祉施設併設型公営住宅「能代ふれあいプラザ サンピノ」を視察したというニュースが聞こえてきた事、A最大会派「平成会」の議員有志がこの問題を超党派で取り組んだ方がいいと動き出した事、であった。特に後者は、会派も政党もない、議会総意的な旧竹村ビル利活用への大きなアクションの始まりとも言えた。

 16年年末から17年年始にかけ、数度にわたって議員有志が集まり、中心市街地活性化を取り組む任意団体の設立が協議された。市街地選出議員との位置付けで集まったのは、八木橋氏、松橋氏、花岡氏、石田氏、佐々木氏、桜庭氏、田中氏、明石の8名だった。この8名を呼びかけ人として全議員に対して任意団体設立に参画して欲しい旨の文書を送付した。私が文書を作成したのでPC内に保存してある原文を下記に掲載しておく。

大館市議会議員各位

中心市街地活性化を考える議員の会(仮称)参加のお願い

 前略、日々の議員活動に皆様ご多忙の事と拝察致します。さてこの度『中心市街地活性化を考える議員の会(仮称)』を設立して、超党派で一緒に勉強しながら市街地活性化問題に取り組もうという主旨のもと、過日第1回目の設立準備会が開催されました。

 準備会席上では「当該地域選出議員のみならず、同僚議員全員に参加助力を求めるべき」等々活発な意見交換が行われ、設立を後日に順延してより多くの同僚議員の参加を促す事と相成りました。

 市街地活性化事業は当市の長年に渡る懸案事項でありながら、農業や林業の議員有志の会のような集まりや勉強会も行われぬまま現在に至っているのが現状であります。また、公営駐車場の赤字問題や最近話題になっている公営住宅の建てかえ問題など喫緊の課題が山積しており、今こそ議会の総意で行政を動かす時期であるとも思うものであります。つきましては当市議会全員宛てに本状を送付させていただきましたので、何卒主旨にご賛同の上、一人でも多くの同僚議員皆様のご参加を切望するものであります。

 平成16年12月20日 設立準備会参加議員一同

※1:設立準備会には順不同で、花岡有一、八木橋雅孝、石田雅男、佐々木公司、松橋日郎、桜庭成久、田中耕太郎、明石宏康の8議員が参加致しました。

※2:後日同僚議員皆様には上記8議員のいずれかより参画のお願いをさせていただきます予定ですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 この文書送付から1ケ月あまり経った1月26日、議員全員で会の設立を協議すべく多くの同僚議員が参集した。全議員27名のうち実に22名がこの会合に参加した。私はこの大勢の参加者を見て「竹村跡地は何とかなるかも知れない、多くの賛否の意見が出るほどいい会が設立できるだろう」と痛感した。様々な意見が噴出していく・・・

意見@:「会で何でも活性化問題を取り組むのであれば常任委員会とかち合う事もあり問題ではないか?どうせなら特別委員会にしたらどうか?」

意見A:「今まで散々公費を投入してきているが、中心市街地からは熱意が感じられない。市営住宅建てかえが活性化につながるとは思わない。

意見B:「市街地選出議員らで取り組んだらどうか?」

意見C「当事者議員だけでは偏った議論になる。呼びかけ人だけではいい知恵が出ない。あらゆる地区の議員たちの声を吸い上げた会にすべきだ。

 ・・・・こうして多くの議論が交わされた後、議長である伊藤毅氏を座長とした『中心市街地活性化を考える議員の会』が設立された。呼びかけ人のみではなく全議員に参加を促す事も確認された(ほどなく全議員が参加)。私は事務局長に選任された。

 伊藤座長は「だらだらやっても意味がない。やるならビシっとやる。視察や地元の意見交換、そして会の報告書作成まで数ケ月でやる。」との方針を示した。任意の勉強会とは到底思えないタイトな日程で同会は動き出していく・・・。

         To  be continued

       『1』へ続く・・・