(賛否はあったが、真紅のポスターは視認性バツグンなのだ)

 

新政会離散!! 

最大会派清風クラブ惨敗の船出!!

 

 選挙が終わり、新政会は田中国司氏の勇退、石垣昇氏の落選で5名に減っていた。我々は改選前の二度の議会人事で惨敗しており(2度目の敗北の仔細はサイト内のエピソード9禁断の小部屋内「壱 6月議会人事はこうなる!!」に掲載、伊藤議長誕生も2年前に予言?している)、厚生委員長就任を熱望している私は今回の会派構成には事のほか関心を寄せていた。私は2001年後半から厚生委員長になりたいとの希望を抱いており、その当時の心境はサイト内にも人知れず!?記述されている(エピソード9禁断の小部屋内「六 12年度決算特別委員会控え室」末尾に掲載)ので、「お前若いのに何で厚生委員長なんだよ?」との疑問をお持ちの方はそちらを一読いただきたいと思う。

 4月末、選挙が終わるまで全くの野放し状態になっていた自宅の池を掃除していた時携帯が鳴った・・・仲澤誠也議員からである。「明石、今度新風クラブのメンバー達と新しい会派を立ち上げたいと考えている。どうだ、一緒に頑張らないか?」とのお誘いであった。

 今回の改選、新人の小畑淳氏の出馬で二井田は文字通り真っ二つに割れ、選挙戦は熾烈を極めていた。期間中私が聞いていた情勢報告は小畑やや優勢であり、以前より「二井田はもう一人議員がいた方が地元にとっても良いのだ」が持論であった仲澤のオヤジはこんな状況でも泰然と構えているのだろうかと、自分の劣勢もさておき気が気ではなかった。二井田地区を遊説中に私は事もあろうかオヤジの選挙事務所の駐車場に選車を乗り入れ、留守番の仲澤選対の人達に向かって突如応援演説を始めた。「仲澤議員には任期中、公私に渡って本当にお世話になりました。私にとってはまさに父親のような存在の人です。今回二井田地区は大激戦のさなかと聞き及んでおりますが、私は仲澤候補の大勝利を心から信じております。お互いに頑張って是非また同じ会派で一緒に頑張りたいと思っておりますので、明石がこう申していたと、どうかご本人にくれぐれもよろしくお伝え下さい。」なる前代未聞の候補から候補への応援演説であった。面識もない小畑候補に何の恨みもある訳ではないが、とにかく二井田地区のトップはオヤジに飾って欲しかったのだ。そんなオヤジからの誘いに私の答えは初めから決まっていた。二年前オヤジが新政会から去っていった時、私は同調しなかった。だが、今度選挙が終わったら絶対に一緒にやりたい、絶対に一緒の会派になると決めていたのだ。

 この新しい会派結成の流れに向かう前に私にはどうしてもしなければならない事があった。新政会のメンバーとの話し合いである。5月初旬、新政会は改選前の控え室として慣れ親しんだ第2委員会室に集まった。大坂谷氏、八木橋氏、武田氏、そして私の4人は揃ったが、菅氏の姿が無い。同氏は既に大坂谷会長に新政会を離脱する意志を表明していたのだった。意見交換が始まったが、私は『仲澤議員と合流したい』との本音を述べた。武田氏も同様の誘いがあるとの話を述べ、今や4人のみとなった新政会から2名が離脱しかねない状況となっていた。

 大坂谷会長からの提案が出された。『新人も多数巻き込んだ新しい会派形成が水面下で着実に進んでいる。平成会独占に対抗する勢力づくりの為には我々新政会とその新しい会派の2つが別々であってはならない。我々4人も合流しよう』。こうして4年前9名で設立された新政会は発展的解散という名目こそついたが、その短い歴史を終える事となった。

(大坂谷候補の選車とは期間中幾度となく出会った)

 

−−−−−−−−−−−−−−

 

 5月6日、私は市内某所に出向いた。新しい会派設立を目指す議員有志が集まったのだが、新風クラブの4名と菅氏、武田氏、そして私の7名はわかっていたが、その時何人が来るのかは知らずにいた。2年前に平成会を離脱した花岡氏と過日平成会を離脱した奥村氏、新人の小畑氏、田中氏がズラリと顔を並べている。元職の佐々木氏も来るらしい・・・『間違いなく最大会派の誕生だ』と思ったが、合流する筈の大坂谷氏と八木橋氏の姿は無かった。席上で仔細を尋ねたところ、「あからさまに市長に批判的な人とは同調できない」との発言があった。それは違う、あの2人はこの会派結成の為に新政会の離散を決意したのだ。『議員は常に是々非々であるべきで、与党であるから何でも賛成ですではダメなのだ』・・・私の持論からかけ離れたこの発言に私は強い懸念を抱いた。

 新しい会派『清風クラブ』結成の確認がなされたが、議会でのスタンス、いわゆる申し合わせ的な話し合いが始まった。以下の2つが取り決められていく・・・

 @『基本的に小畑市長を支持する』

 A『採決に反対は認めない。賛成できない時は退席してもらう』

 私は何度も席を立とうと思った。『これでいいのか明石?お前は間違ってはいないか?』『新政会を設立した時の、あの新鮮な感動が今お前にあるか?』激しい葛藤と自問自答、そして新政会を滅ぼしたA級戦犯の罪悪感が脳裏にこびりついて離れなかった・・・・。

 『新政会結成の時とは明らかに違う。ポスト獲得ありきの人数集めの意図が見え隠れする今回の会派結成は果たして正しいのか?』

 『厚生委員長を目指すからには多数派工作は必要になる、大きな会派になればなるほど私の委員長就任は近づく。だが、「多ければ良かろう」に果たして正義はあるのか?』

 だが私は最終的にこの会派結成に賛成した。タンカを切ってここでこの席を立ち颯爽と去るのは簡単だ、だがそれでは2年も待った厚生委員長には絶対になれない。責任あるポストを目指す為には一人会派では無理なのだ。スタンスの基本的な違いは個々であるならば必ず介在するのだ、ここは我慢だ。せっかくオヤジと一緒になれたのに、1時間でハイさよならなどどうしてできようか?・・ここは我慢だ。誰の為でもなく自分自身の為に私は席を立たなかった・・・。

 

−−−−−−−−−−−−−−−

 

(長木川河川敷でのトイレ休憩で奥村候補とバッタリ)

 

 5月19日、臨時議会は波乱の一日となった。採決に先立って我々清風クラブを取り巻いていた厳しすぎる現実は大まかに言えば以下の4点である。

(1)先に述べた清風クラブの申し合わせ事項@「基本的に小畑市長を支持する」が共産党2議員の逆鱗に触れた。彼等の基本姿勢は『政策の不一致を捨ててでも今回は平成会を支援、最大会派清風クラブの人事獲得を絶対阻止する』であった。

(2)清風クラブは議長ポスト獲得に向けて、副議長ポストを取り引きの為市政刷新クラブと社民クラブの双方に提示した。結果、当然の如く両クラブ4議員の反発を招いた。彼等の基本姿勢はこれまた『最大会派清風クラブの人事獲得を絶対阻止する』であった。

(3)清風クラブは新政会を解散してまで合流しようとした大坂谷議員と八木橋議員を拒絶した・・・にも関わらず平成会との人事激突の情勢となるやすかさず2人との懐柔交渉に乗り出した。結果、当然の如く2議員の猛反発を招いた(先述の市政刷新クラブの八木橋議員はダブルでの怒りであったので激怒を通りこして失笑していた)。彼等の基本姿勢はまたしても『最大会派清風クラブの人事獲得を絶対阻止する』であった。

(4)私を含む数名の清風クラブ内の議員が自分達のあり方に多少ならずの疑問を抱えていた。結果、採決前日に至るまで会派離脱を考える議員がいた。一枚岩になりきれていない現状を対外的に示す採決が待ち受けていた。

 20日の報道にあるように我々は最大会派であるにも関わらず惨敗した。議長選では会派内から造反者まで出る始末であった。平成会8、社民クラブ3、共産党2、市政刷新ク1、公明党1、無所属1、清風ク1の計17票を獲得した伊藤毅議員が40代の当市最年少記録での議長就任を果たした。私が思っていた「一人会派では委員長にはなれない」、最大会派の候補を決戦投票で打ち破って総務財政委員長に就任したのは無所属で一人きりの大坂谷征志議員であった。

 会派結成直後から厚生委員会に配属になった私は委員長就任を目指して挨拶に出向いた。しかし清風クラブに対する他会派の反感は私の想像を遥かに上回っており、臨時議会開会前に既に4対3での落選を覚悟していた。委員長選挙で決戦投票の相手となった相馬議員からは「今回の清風クラブの交渉の仕方はあまりにも仁義を欠いていた。全ての委員長ポスト獲得を逸する結果を自ら招く事になる」とのご指摘を数日前からいただいており、私もその可能性は否定できないと痛感していた。決戦投票で戦う相手でもある私にこうした真摯なご意見を寄せて下さった事に、私は大きな謝意を感じた。こうして私は相馬ヱミ子議員との決戦投票に4対3で敗れ、2年前から熱望していた厚生委員長に就任する事ができなかった。

 

(「敗れて爽やか」、何の確執もなく相馬委員長との関係は良好)

 

−−−−−−−−−−−−−−−

 

(厚生委員会の行政視察にて。留萌市立病院は一般質問で引用)

 

 こうして選挙での大苦戦、新しい会派での議会人事大敗北、初めての委員長ポスト挑戦での落選と、まさに満身創痍の中で私の二期目はスタートした。こうした苦い経験を踏んでこそ成長はある訳であるが、特にこのコーナーで述べている会派構成に関しては今尚私は悩んでいる。時に正解が見えず人は彷徨うのであろうが、この答えは私一人では出す事は難しいだろう。清風クラブに所属する12人の議員一人一人が、何故こうなってしまったのか?これからどうやっていけば良いのか?を真剣に考え、真正面から取り組んでいかねばならない。

 『私が所属すべき会派は間違いなくここだ!!』、新政会結成の時私は確かに感じた。あの新鮮な感動をただ懐かしむのではなく、これからそう感じる事ができる確かな居場所を捜し、無かったら自分で創り上げる努力を始めなくてはならない。私を支え共に選挙を戦った仲間達に今の惨状をどうして報告できようか?私の名前を書いてくれた1044人の人達に胸を張って日々を語れる議員でなければ、私は自分を侍などとはと呼べない。

2003年9月

新政会   明石ひろやす